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13人のグランマザーからのメッセージ−4

10月23日。満月。

この日を楽しみにしてきたのは、私だけではなかっただろう。奄美の海を眺めながら、聖なる夜を聖なる火とグランマ達と一緒に過ごすことに期待と喜びを感じていた人は多かったに違いない。だけれど空は相変わらず雲が厚く、月までぬける宇宙が見えるかどうかはわからない。今頃奄美はどうなっているんだろう? そんな思いを抱えている人は多く、この日もいろんな人の会話の中に「奄美」という言葉が頻繁に登場していた。

奄美では予定通り、昨日聖なる火がおこされたらしかった。そして、奄美に渡っていた普門寺から届いた平和の火(福岡県星野村で灯し続けられてきた、広島に落ちた原爆の残り火)が、フェリーで鹿児島へやってきた。この火と一緒に、ファイアーマンのスチュアートさん、友人のayakoもやってきた。彼女は19日頃から奄美に入っていて、豪雨の間は携帯にも連絡がとれない状態だった。タフな人なので心配ないとは思いつつも、21日の嵐の合間をかいくぐって届いたメールを見て、ほっとしていたところだった。英語が堪能な彼女は、ステージまわりのケアをすることになっているらしく、そのためにこちらへやってきたらしい。奄美にはまだスタッフ達がいて、現地に来たゲストとお客さん達とセレモ二ーを続けることになっていた。

こうしてちりじりになっていたものたちが揃い始め、昨日の開催中止の情報で一旦ご帰宅された天川神社の宮司さんも霧島へ再度戻っていらっしゃって、なんとかセレモニーを開催することになった。なによりすごいのは、嵐の中、そしてろくに情報もないにもかかわらず、お客さん達が集まり始めていたこと。来ると決めた人達はやっぱり何があってもくるんだな。これも縁というかなんというか、世の中、やっぱりなるようになっている。

そして午後13時をまわったころ、ホテルの一階ロビーの脇のラウンジにグランマザー達が集まり、会議の開催のあいさつと自己紹介が行われた。

顔を揃えたのは、次の3人を除く10人。アフリカのガボン、オミエンネ族のグランマザー・ベルナデット・リビノ、チベットのグランマザー・ツェリン・ドルマ・ギャルトン、そしてアラスカ、ユピック族のグランマザー・リタ・トゥピカ・ブルーメンスタインたちは体の調子や家族のことで今回は来日できなかった。しかしユピック族からはリタさんのサポートをしているマリー・ミードさんが参加していた。

その他のおばあちゃん達を紹介しておこう。おばあちゃん達はアメリカ大陸の婦ネイティブアメリカンの人達が多い。
まず、この会議の議長である最年長のグランマザー・アグネス・ベイカー・ピルグリムは西海岸オレゴン州のタケルマ・シレッツ族の長老。そして内陸部でバッファローを追いながらティピを建てて移動生活をしてきた部族からは3人が参加している。サウスダコタ州のラコタ族からは、グランマザー・リタ・ロングビジター・ホーリーダンスとグランマザー・ベアトリス・ロングビジター・ホーリーダンスの姉妹、その北西にあるモンタナ州から、シャイアン族とアラパホ族の血を引くグランマザー・マーガレット・ビハン。アリゾナ州、グランドキャニオンの麓で暮らすグランマザー・モナ・ポラッカは、ハバスパイ族、ホピ族、テワ族の血を引いている。その隣のニューメキシコ州からは、マヤ族のグランマザーフロルデマヨ。
さらに南に下ったメキシコからは、マサテコ族のグランマザー・フリエタ・カシミロ、ブラジルのアマゾンの森の中のコミュニティで暮らす二人、グランマザー・マリア・リースィーとグランマザー・クララ・シノブ・イウラ。マリアさんは黒人、アマゾンの先住民、白人などいろんなルーツを持つ。一方クララさんはブラジルに移住した日本人の両親の元に生まれてブラジルで育った。なので彼女は日本語とポルトガル語を話す。今回のホストだ。日本にいる程に自分のルーツがここにあることを強く感じてきているのだそうで、その思いが今回の日本での開催につながった。最後に紹介するのが、ネパール、タマン族のグランマザー・アンマ・ボンボ。数少ないアジアからのグランマザー。彼女とクララさんの祈りにはトランスが起こり、神様からのメッセージを言葉と体で伝えてくれるのだそうだ。

13人のグランマザープロフィール
アメリカの地図

そしてこれに奄美島唄の朝崎郁恵さん、アイヌの遠山さきさんと3人の娘さん、ライアー奏者の池末みゆきさん、普門寺住職の藤本恵祐さんが日本の代表として彼女達を迎えた。奄美出身の朝崎さんは奄美の神歌を一節歌ったあと、奄美にいけなくてごめんなさいと謝っていた。本当に残念で、そして心配なことだろう。そして長い迫害を受けてきた中で、アイヌの伝統的な暮らしと文化を娘さん達に伝えてきた遠山さきさんは、こうして世界からきたおばあちゃん達と会えたことがうれしいと、涙を流しそうになりながら話していた。

ところでみなさん、なんでいつものように写真がないんだとお思いかもしれないけど、実はアメリカ側の主催団体CSS(The Center for Sacred Studies=聖なる学びのセンター)の規制によって、撮影が固く禁じられていたためにグランマ達の写真ほとれず、そして一切アップできないんです。ごめんなさいね。
実はこれについてはいろんな経緯があった。儀式は撮るものではないというのはわかるのだけど、それ以外も全くNG。個人的に話して写真を撮るのもダメ!!と言われ、その理由もさっぱり説明されず、そこまでやらなくても……とか、話が違いすぎる!とか、かなりこのやろうな状態で、私的には前半はかなり憤慨していた(いやあ、ほんとにあんまりな対応だった)。それで、会期中にもその後にも幾度となく話し合った結果、グランマ達が望んでいないのだから、とらないで欲しいし、公にはしないで欲しい。日本側のスタッフが一人オフィシャルカメラマンとして撮影するから雑誌にはそれを回せるようにするということになって一段落。それで、こちらも掲載しないという約束を守ることにしている。
こんなとき、メディアじゃなかったら知らずにアップしちゃいました、なんてできるのになあなんて思いつつ(笑)、話しあってきた以上は従うしかないのですよね。最初はかなり腹立ったけど、おかげさまで儀式に集中できてまあ、別の楽しみも生まれたのでよしとしておこう。

そして17時過ぎ、天川神社の柿坂神酒之祐宮司さんによって火の儀式が行われ、クララさんの祈りが始まった。グランマ達は火のまわりを東から時計回りに進んでそれぞれの祈りを捧げた。それが終わった頃、火の中に空から何かが入ったようながした。エネルギー、スピリット、精霊、魂……。どんな言葉で表現されるのかはわからないけど、なにかいのちあるものがその中に入り、火に息吹が生まれたようだった。
「だから聖なる火なんだね」
私の口からは自然にそんな言葉が流れ出ていた。

夜になると雲が引き始めた。
露天風呂から見上げた空には、木々の間から満月が覗いている! 
強い光と空を抜けていく風が、新しく始まった何かを祝福しているようだった。

そして一息ついた頃、私たちはロビーで道場メンバー達を待っていた。するといろんな人達が集まってきて、現状について話していた。その中で、昨日から受付の電話(スカイプを転送している)を受けていた女性がこんなことを話し始めた。
「こちらの状況がわからなくて、お怒りの方が多いわよ。このままじゃ終わってから大変なことになるから、今からでもなんとかしないと」
私も現地に来た人から苦情を聞いていたこともあり、その言葉はスルーできなかった。
そこに日本側の主催団体「いのちの環」の代表・龍村ゆかりさんがやってきた。
彼女は今日、クララさんからも、「気が狂いそうになりながら頑張っている」と紹介されたところ。ホントにここまで着地させるのは大変だったことだろう。リアルタイムでの経緯説明と決定事項の伝達が遅れていることが最大のネックだという話が出ると、
「名古屋から移動してくる中でずっとまともに通信できる環境じゃなくて。さらにPCに無線LANが入らなくなっちゃって、自分のPCでブログの更新もできないのよ」
さらに、変更に継ぐ変更への対応で精一杯で、落ち着いて文章を考える余裕もないようだった。
「わかりました。じゃあ私が書くので、名古屋から霧島までの経緯を教えてください」
こうして急きょ、私が代理で文書をまとめ、ブログ記事を作成することになった。聞いていると、この怒濤の流れを冷静に整理して文書にまとめるのはかなり大変な作業だ。ホントに気が狂いそう。しかもやっているうちに次のやるべきことがどんどん起こってくるのだから、たまったもんじゃない。ゆかりさんはさぞかし疲れたことだろう。

そこでわかったのは、グランマ達は7日間ここに留まって火を守り、祈りを捧げること。私たちは公開会議後なら移動できると勝手に思っていたのだけれど、一度つけた火はたき続けなければいけないらしい。だから霧島からは動けない。これがおばあちゃん達の決定だった。
そして、事態もそれにあわせて動き始めていた。奄美での宿泊場所はキャンセル。予定していた食材は現地の救援物資として寄付され、現地に入っていたスタッフ達はツアーを受け持っていた旅行会社で問い合わせの対応をしたり、受け入れ体制を整えたりして、献身的に動いてくれていたそうだった。
ここでやっと、全体のあらすじが見えてきた。日本側には決定権がなく、アメリカ側、グランマと話し合わなければ何も進まないのだ。今までの混乱や情報公開の遅れもそのために起こっていたのだった。

まあまあいろいろありながらも、そんなこんなでようやく話がまとまり、記事がアップできたのは夜中の二時だった。悪いなあと思いつつも、明日奄美へ発つヒロスケ君を引き止め続け、なんとか車で道場まで帰ることができた私たち。その後も、道場でひそひそいろんな話をしていた。
ヒロスケ君が奄美へ行きたい理由はシンプルだった。穏やかな気持ちで祈りたい、楽しい気分で笑いたい。
そのために、離れたところで悶々とするのではなく、現地へ行ってできることをしよう。必要なら救援活動をしたい。そんなことを話していた。

私も奄美へは行きたい。だけどまだここでやるべきことがある。もう少し留まって様子をみることにしよう。
明日からいよいよ本格的な祈りが始まる。
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