
そして、会場には奄美島唄の継承者、朝崎郁恵さんが登場した。
朝崎さんは現在横浜で暮らしながら、奄美で引き継いできた島唄を広く伝える活動をしている。彼女は故郷の奄美で開催されるこの会議をとても楽しみにしていた。
「奄美で神歌でみなさんをお迎えする予定だったんですが、できなくなりました。奄美に行けなくてごめんなさい」
ああ、あなたが謝らないで。どんなにか残念だったでしょう。
この日私は彼女にインタビューさせてもらい、奄美の文化や子育てのことについてお話を伺っていた。
アイヌやネイティブアメリカンの人達と同様に、奄美にはもともと文字がなく、島の暮らしや文化は、唄と踊りで伝えられていた。もちろん楽譜もない。人から人へと直接伝え、体にしみ込ませて伝えていくのだ。
唄の内容は多岐に渡る。人間の魂を伝える深いもの、平家の落人達が残した和歌、親子の愛情や教訓を伝えるもの……。琉球や薩摩から侵略を受けてきた奄美には、その悲しい歴史を伝える唄もあるのだそうだ。そして、平家や琉球王朝のきらびやかな文化が入ってくる度、島の文化もその影響を受けて変化していった。こういった800年以上にも渡る歴史が、唄として残っているという。日本がなくしてしまった日本の文化がそこにあると、彼女は話してくれた。そして、それを引き継ぎ、歌っていくのが自分の天職なのだと。
子育てがテーマの取材だったので、朝崎さん自身の子育ての話や、これから先の子どもたちに伝えていきたいことも伺った。
「たくさん産みなさい」
「失敗してもいいから、精一杯愛情を注いで自分で育てなさい」
「子育ては一時期自分を犠牲にしないといけないけど、それは長くは続かない。女は子どもに育てられて母親になるのよ」
そんな、暖かくて強いメッセージをたくさんいただいた。中でも興味深かったのが、お母さんと赤ちゃんのスキンシップの話。
「だっこやおんぶがとても大切。赤ちゃんとお母さんの心臓の音が重なると、赤ちゃんは子宮の中にいるみたいに安心するのよ。風邪も早く治りますよ。寝かせる時はおんぶするのが一番ね」
なんてことを話してくれたのだけど、これは、前日に聞いたグランマザー マーガレットと同じだった。やっぱり西も東も人間の仕組みは同じなんだ。経験者からの言葉は大きい。読者も励まされることだろう。
そして最後に、素敵な言葉を贈ってくれた。
「3歳までたっぷりと愛情を注ぎなさい。それは子どもに伝わるし、愛情を受けて育った子どもは、親を放っておいたりしないでしょう。孫達の時代には平和であって欲しいし、世の中がいい人達でいっぱいになって欲しい。世界を変えるにはまずは親が目覚めなきゃ」
子育てを通じて女性は世界をつくることができる。朝崎さんとの会話から、私はそんなインスピレーションをいただいていた。
そして神歌から始まった彼女の唄は、本当にすばらしかった。しんみりとした曲から、陽気なメロディー。最後はカチャーシーで会場中が踊り出し、奄美の文化と祈りの暮らしを垣間みることができた。因に彼女の衣装は奄美のシャーマン、ノロの衣装で、芭蕉布の生地でできている。△は女性を象徴したもの。いのちを生み出す女性は昔、神と考えられていたのだそうだ。生命の尊さと神秘を感じさせるお話だ。
そして夕べの祈りには、米国サウスダコタ、ラコタ族のグランマザー ベアトリス・ロングビジター・ホーリーダンスのパイプセレモニー。これには、ラコタに通いつづけている日本人のシャーマンでミュージシャンのHIROさん達も参加。いっしょにパイプを回していた。
メディスンウーマンのベアトリスさんは、80代になった今も、訪問医療を続けている。娘さんの運転するトラックで毎日村を巡回しているのだそうだ。そして子どもは血縁がつなぐコミュニティ「ティーオシパイエ(TIOSPAYE)」で育て、儀式やストーリーテリングを通じて、伝統的な暮らしや生き方などを伝えていく。こちらも人から人へと直接伝えていく文化。こういった伝承の仕方は文字にして伝えるのとは違い、その本意が深く自分の物になっていないと伝えるのが難しいと思う。逆にそのハードルが、より強い継承を可能にしてきたのだろう。ラコタ族の伝統の儀式、サンダンスにも参加しているHIROさんは、そんな温かい絆にも魅かれていたようだった。
パイプセレモニーはネイティブアメリカンの大切な儀式で、パイプに煙草をつめ、4つの方角(東西南北)、母なる地球、父なる宇宙に向かって、祈りをささげていくもの。パイプから煙を吸い込み、祈りを込めてそれを吐き出すと、煙は空中にのぼっていき、ワカンタンカ(創造主)のところに届くといわれいてるのだそう。娘さん、お孫さんと一緒に来日されていたベアトリスさんは、静かにこの儀式を行っていた。その様子を見ていると、揺れていた心が少し、静かになるような気がした。
こうして儀式が行われている間、聖なる火は灯し続けられている。それを守るファイヤーキーパー達は忙しく働き、そして日に日に輝きを増していた。道場仲間のミノル君、サンタ君、ケンさんの3人は、薪の調達をしたり、場所を整えたりで、スチュワートさんと一緒に朝早くから夜遅くまで動き回っていた。彼らも火に育てられ、ファイヤーキーパーになっていっているのだろう。テツさんはグランマザー達の経済支援につながる物販、ノッチは受付、という風に、それぞれが自分の仕事を見つけ、活動を始めていた。
私も午前中に編集部にメールを送り、そろそろと仕事モードに切り替わっていた。のだが突然、驚くようなニュースが入ってきた。ホストグランマザーのクララさんとゆかりさんが明日奄美へ行くというのだ。アメリカ側との話し合いで、明日はプレス用にインタビューの時間を取ってもらえることになっていた。しかもクララさんにメインのお話を聴くことになっているのに、奄美に行くならそれができない。おいおい、頼むよ、ちょっと待ってー。
といいつつも、澄み渡る海の写真が届く程快晴の奄美大島。私も実は行きたくて仕方がない。クララさんが行くなら私も行こう。心は決まり、食堂で彼女を見つけてどうするかを聞いてみた。すると彼女は2、3歩後ずさり。
「行くかどうかは言えない。私が行ったらみんないきたがるでしょ。会議が終わってからも私は日本にいるし、インタビューはそれからではダメ?」
かなりうろたえている。それはそうだろう。実際私も一緒に行こうとしているんだから。いつもならOKといいそうな約束の申し出なんだけど、この人を会議の後で捕まえるのは、本能的にダメだと思っていた。以前ゆかりさんに彼女のスケジュールを聞いた時、呼ばれているところがたくさんあるから、どこで時間をとれるかわからないと聞いていたから。何より直感で、明日を逃したら、ゆっくり話を聞く時間はないと思っていた。だから、どうしてもつかまえておきたかった。
結局その夜のグランマ達の話し合いで、二人は霧島に残ることになった。
この出来事は一見、勝手な行動に見えるかもしれない。だけど、現地の人達の歓迎を受けながら準備を進め、好意を肌で感じてきた彼女達にしてみれば、現地で働いてくれているスタッフや地元の協力者に一度も顔を見せないで終わるのが忍びなくて仕方がなかったのだろう。実際、会場の奄美パークには、何人かのゲストや本土からのお客さんの他、現地の方々が足を運んでくれていた。その思いに、少しでも応えたいと思ってのことだっただろう。
こういった急展開が次々に起こるグランマ達の集まり。それぞれが自分の試練に立ち会いながら、変化に流されることなく、そして過去に執着することなく、前に進もうとベストを尽くしていた。
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by kco_sawada
| 2010-11-26 05:19
| 地球の上に生きる